いらっしゃいませ
ご来店ありがとうございます。 米山印房の店主はずっと、長持ちする印鑑を目指して仕事を続けてまいりました。
その間彫刻機等も導入致した事もありましたが、やはり丈夫さだけでなく1本として同じ印影の印鑑が彫れない「手彫り」が1番だという思いに至りました。
私は常々、実印や銀行印なら1人1本づつあれば生涯使い続けるのがベストだと考えています。何より面倒な改印届けや余計な出費の必要なく、 環境にもお財布にもやさしいのではないでしょうか。
加えて近年、増加・多様化している犯罪にも留意する必要はないでしょうか?長く使えるだけに、将来を見越したセキュリティ性も必要ではないかと私は思っています。
考えても見てください。 私たちの地方は、ちょっと前までは鍵をかけずに外出しても何の問題もなかったのですが、今ではそうもいっていられなくなっています。
印鑑についても同じ事が言えなくないでしょうか?金融機関等でも、近年本人確認が厳しくなり、下手をすると気分を害した事も一度ならずあった事でしょう。
そんなあなたにとって大切な印鑑。 私の店では心を込め「手仕上げ」「手彫り」でお納め致します。
印鑑を彫る「工程」は、大まかに分けて「字入れ」→「荒彫り」→「仕上げ」と進みます。
そして、印鑑を彫る「方法」には3通りあります。
1つ目の彫り方はは機械掘り。文字通り彫刻機械に全ての工程を任せる彫り方です。PCにインストールされたフォントを呼び出して編集し「字入れ」工程完了。そのデータを彫刻機に転送して「荒彫り」→「仕上げ」で完成させるものです。 機械彫りの長所は安く・早く出来る事ですが、欠点は個性の無い似通った印鑑になる事、雑な仕上がりで強く押しても良く写らない場合がある事などがあります。
2つ目は手仕上げ。「字入れ」と「仕上げ」は職人の手によって仕上げて完成させるもので、「荒彫り」のみを機械に任せる、手仕上げは機械彫りと手彫りの中間ですが、人の手が加わるだけに機械彫りにはないきれいな仕上がりになります。
3つ目は手彫り。「字入れ」→「荒彫り」→「仕上げ」を全て職人の手で行って完成させるものです。
手彫りの印鑑はその名の通り、印鑑の材料に字を書く所から仕上げに至るまで全て職人の「手」によって作られる印鑑ですので、彫り手の個性が良く出る・丈夫な印鑑に仕上がるなどの長所がある半面、欠点としてはどうしても出来上がりまで時間がかかる事です。
当店の彫り方は、「荒彫り」の一部のみ機械で彫刻する、極めて手彫りに近い「手仕上げ」、象牙は「手彫り」です。
近頃は廉価な機械彫りの印鑑がホームセンターや文具店さんなどで取り扱われていますが、どれも似通った字のものが大半のようです。 これでは印鑑の「本来のあり方」であるべき筈の「印鑑の持ち主」の特定が難しくなるのではないでしょうか。
私はこれでいいのか?と言う疑問を以前から持っていて、目が悪くなって自分で仕上げすら出来なくなった今、上記の方法でやってくれて古くから付き合いのある、堀内青巒さんにお願いしています。
ここで店主、米山利喜雄の自己紹介をさせて頂こうと思います。
私は1955年(昭和30年)9月に農家の長男として生まれました。 丁度稲刈りのまっ盛りに生まれたので、「利」(とかく「儲け」と取られがちの字ですが、本来は「穂の付いた植物「のぎへん」に刃物「りっとう」を当てている、穫り入れの意)を「喜」こぶ「雄」と名付けられました。
父が早く亡くなり、母親一人で農家を続けているのを見かねた叔父(胎内市で印鑑の仕事をしている)が「印鑑の仕事をやらないか」と誘ってくれました。 それで母が1968年に今の場所にゴム印だけを自製、ほかは外注という店を構え、その後私が印鑑・ゴム印の仕事を習い、あとを継がせて貰っています。
私が仕事の見習いに行っている時、何気なく「アカネ」の材料に練習のため彫った印鑑の「縁」に爪を立てた所、呆気なく爪が入ってしまったのを見て、今習っている事とは別に丈夫な印鑑を作る事も考えなければならないな、と思ったのでした。
私が母の店で働くようになってから15年近く「手彫り」で印鑑を彫ってきましたが、ゴム印の設備が古くなった為、新しい設備を入れた事によりゴム印と印鑑の仕事の両立が難しくなりました。
それで印鑑の「荒彫り」をやってくれる機械を導入したのですが、同業の安売りのチェーン店やホームセンターで機械で彫り、丁寧な「仕上げ」をしないまま売る印鑑に疑問を感じ始めました。
しかし乖離性大動脈りゅうの手術での入院、病気はとりあえず治ったのですが、手術の際に声帯を傷付けてしまった為声が上手く出なくなり、その上見つかったベーチェット病によるブドウ膜炎で、残念ながら印鑑を彫るだけの視力をを失い、現在は古くから「手彫りの表札」でお世話になっていた堀内青巒さんにお願いして、限りなく手彫りに近い「手仕上げ」の印鑑」、「手彫り」の印鑑を皆様にお届けしています。
趣味はいつまで経っても一向に上達しない下手な写真で、野草・雑草などを主に撮っています。 あとはバイクでしょうか。 屑屋さんに売るしかないポンコツなバイクでツーリングへ修理屋さんへと(泣)走り回っています。
オイルショックのあった1970年代頃から「印相」について世間で盛んにいわれ出したように私は記憶しているのですが、本当に印鑑に吉凶があるのかお客様が良くお尋ねがありますので、当店の考えを述べさせて頂きます。
私はないと思っています。 なぜなら「占い・相」で占い師さん以外で直接儲かる人が出てくるのは、この「印相」以外にはないのではないしょうか。 一番儲かるのが(印鑑の)業者というのも珍しい・・・ ほかの「占い・相」は占い師さん、相観さんが儲かる以外には直接儲かる人がいないか、間接的に儲かる人はいるのですが、このように直接儲かる人が出る例はまずないでしょう。
私は「占い・相」には根拠がないという考えの人間なのかというとそうではありません。それは長い年月蓄積されたデータによって導かれる「統計」の学問なのだ、と考えているからです。 特に、人相・手相や風水などは数千年のデータの蓄積があります。
まあ、これらの歴史のある「占い」や「相」というものでも、大雑把な所は当たっている事が多いのですが、あまり細かい所までは当たらないようですし、「統計の学問」というのも言い換えれば「結果論の積み重ね」でもあるからです。
それに、風水が特にそうですが、あれは完全に(発祥の地、中国はもとより韓国・日本などの)農耕民族の学問で、農業をやるにおいては実に理に適った学問なのです。(日当たり・風通し・水はけなど、農業をやった事のある人や家庭菜園など趣味で「土いじり」をやった事のある人ならわかる筈ですが、作物の出来る条件に適した所を縁起が良いとしているのです) 近頃は風水が色んな所に使われているようですが、これを知らないで闇雲に目的違いの所で風水を信じると「アテ」が外れる事うけあいです。 ちょっと話が脱線しましたね。
「印鑑」も人間の「姓」もそれ以前から「ある」とはいうものの、特別な権力者や実力者に限られ、一般の人が「姓」を持つようになったのも印鑑を使うようになったのも明治になってからですし「姓名判断」・「印相」も長くても百数十年の歴史といった所なのではないでしょうか。 それ以前からあったとしても間違いなく「統計の学問」としてはデータ不足なのではないでしょうか。
「印相体」という書体もこれまでになかった、どちらかと言うと「デザイン」的な書体ですし、お客様がどうしても気になるようでしたら「悪い」といわれている所だけを避けるのが良いように思います。
店主の米山利喜雄と申します。 皆さんにより良い印鑑をお求め頂くためにより正確な情報をお届けすると共に、あなたにより良い印鑑を購入して頂くための手助けをしたいと思っています。